フォーカシングを見出したのは、アメリカのユージン・ジェンドリンという、当時シカゴ大学の研究者であり、カウンセラーであり、哲学者でもある人でした。1960年代に、ジェンドリンと仲間は、「カウンセリングを受けて、効果のある人とあまり効果のない人がいる、その差がどこから出てくるのか。」を研究していました。

何百回分というカウンセリングの録音テープを分析したところ、すばらしい発見をしたのです。「カウンセラーがベテランか初心者なのか?」「カウンセリングの方法の違いなのか?」驚いたことに、それらはあまり何の関係もありませんでした。

カウンセリングの効果を左右する要因は、クライエント(相談者)のある特徴でした。「クライエントが、言いよどむような独特の話し方をしているかどうか」だったのです。

その人たちは言いよどみながら、自分の心を探索していました。

「えっと・・・なんて言ったらいいんでしょうか。働く・・・働かないといけないって頭ではわかってるんだけど、働くって思ったときに、何か重~い感じがしてて・・・。働くことがいやなのかなぁ・・・。いや・・・。そうではないみたい・・・。何かに所属することで自分がなくなっていくような感じが・・・して。いったん社会のレールに乗ったらもう二度と戻って来れないような。今までの自由な時間や自分がなくなっていくような・・・そう、自分がなくなっていくのが怖いのかもしれない・・・」

自分の心に注意を向けて、言いよどみながらもゆっくり何かを探索するように話す人は、複雑な感情の中から、自分の深い感情の核心に触れていくようでした。そういう人たちは、難しい問題を抱えていたとしても、やがてその人なりの答えを見つけていくようでした。

次の疑問として、ジェンドリンは「人は、自分の中の何をどんなふうに探索しているのだろう?」ということでした。それがわかると、そうでない人に、自分の心の深い探索の方法を伝えることができるのではないか、と考えたわけです。

そうして試行錯誤のもと、ジェンドリンはあることを見つけました。

人が何かに気づくときには、それに先立って、「何かまだはっきりしない、意味を含んだ、漠然としたからだの感じ」に注意を向けている

ということでした。「何か意味を含んだからだの感じ」。この、どこかあいまいでとらえどころのない言葉にしがたい概念に、ジェンドリンは「フェルトセンス」(felt sense)という名前をつけました。日本語に訳すると「感じられた意味」となり、なんだかよくわからないので、「フェルトセンス」とそのままに使われています。

☆★~やってみましょう~フェルトセンスを感じるって?(簡単に雰囲気を紹介します)☆★

最初に、心に何かを思い浮かべてみてください。う~ん。何かあなたの好きなものにしましょうか。好きな人・好きな風景・好きなペット・好きな音楽などなど

そのことを思い浮かべたり、実際に触れたり見たり聞いたりすると、心の中でどんな気分が広がりますか?ここで、瞬時に「楽しい!」「切ない!」「嬉しい」など単純に定めて終わってしまうと、それは自分の感じているものの一部しかとらえていないかもしれません。それは、雑誌の目次のようなものです。しばらくは何か言葉にしようと急がずに、そのときのからだの中に広がる感覚や気分そのもの、その感じ全体を、ただ感じようと、ぼんやり過ごしてください。

その時に、からだのどのあたりで感じるだろうか?と思ってみるとわかりやすくなるかも。

「胸のあたりに、わくわくするような、さわやかな、突き抜ける青い空のような気分が広がっている」そんなふうに感じられれば、それがフェルトセンスです。

たとえば、音楽でいうと、何曲か聞くと、ひとつとして同じ感じをもたらす曲はないように思います。からだは微妙に複雑なところを感じ分けているのです。ゆっくり時間とってみると、それに自分が気づくことができるようになるかもしれません。

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文献:『マンガで学ぶフォーカシング入門』村山正治監修 福森英明・森川友子編著 誠信書房 2005